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2016年7月

2016年7月20日 (水)

鈴ヶ峰

 鈴ヶ峰は八坂神社の近くにあり、宍喰を象徴する山。近くには宍喰古墳、山頂には素晴らしい眺めと円通寺跡があり、希少生物ヤッコソウが生息する。中学校のあたりから遊歩道が整備され、1時間程度で登ることができる。
【山頂】
 そこから東に伸びる道が別にあり、その先は宍喰の町並みが見渡せ、山歩きの疲れを癒すことのできる格好の広場となっている。
 宍喰は小京都・条里制の町並みで、碁盤の目に並んだ直線美の向こうに、水床湾に浮かぶ多くの島とそれと織りなす複雑な海岸線が美しい。眺望は南に開けているが、初日の出もここから見ることができる。
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【円通寺】
 九世紀のはじめ、平安朝の初期に、僧空海(弘法大師)が四国を巡回して、八十八ヶ所の霊場を開いたとき、宍喰の里で西北にそびえる宝珠形の霊山を発見、仏縁ありと感じて、峰で修行すること数日、ここに円通寺という寺を開山した。
 その後約450年後の応安三年(1370)に、櫛川の猟師に五良兵衛が、狩猟の際、巌窟に鈴音を聞き、金銅観音の像を発見し、出家して法妙と称え、性公という僧と協力して観音堂を建立した。
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【伝説】
 五良兵衛は櫛川の猟師だ。母は我が子の殺生の罪滅ぼしの為と、朝夕仏事を怠らない。ある夕方、波間から光り輝く物体が舞い上がり、鈴ヶ峰の円通寺の峰のあたりで消えた。
 一方、五良兵衛は山の中で猪を待っていた。不意に全身銀のような白毛の老猿が現れ、ついていくと、澄んだ鈴の音が響いてくる。いつの間にか白猿の姿を見失い、目の前に大きな岩が重なり合った魔窟があり、鈴の音はそこから響いてくる。窟の中を進むと一条の光がさし玲瓏たる声が響く。
「われは海神のみ子なり。蒼海より湧出して、深山に菩薩となりて化現す。我をこの峰に斎き祀らば、鬼畜の済度、善願如意の成就疑いなく、長く浦人達の守りとならん。夢疑うことなかれ」
 ようやく東が白み、恐る恐る眺めると、七寸八分の観音像が光り輝いて鎮座している。五良兵衛は俄かに発心して頭を丸め、老婆にそのことを伝え、霊場を再建しようとしていると、性公という旅僧が現れ、共に円通寺の跡に観音堂を再建した。
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【ヤッコソウ】
 シイノキの根に寄生する1年生の寄生植物。10〜11月に発生し、花茎は高さ5〜7cm。で、肉質の鱗片葉は交互に体生し、最上部が最も大きい。茎の先に咲く花は花弁がなく、おしべは、花糸ややくがゆう合して帽子状となり、花の最盛期に落ちてめしべが現れる。名前は奴草で、その形が奴人形に似るのでいう。熱帯植物で、本県は世界の北限に当たり、天然記念物に指定されている。
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【宍喰古墳】
 宍喰の町民グランドを造成する前にあった小高い丘に、大正11年8月、土地の所有者が、家屋建築用の壁土に赤土を採取していた際、大石が露出していたので発掘した。これを伝え聞いた某大学教授と称する者が発掘を行い、そのまま行方不明になった。その後の調査により、「この古墳は6世紀のもので、その規模の大きさから、今まで四国地方で発掘されているものの中でも屈指のもの」と断定された。宍喰の始祖、鷲住王が脚咋別として、この地を支配し、その後、この一族が当地方を開拓したのもこの頃であり、始祖を祀る大山神社の由来などを考えあわすと、この一族の墳墓であることは間違いないと思われる。盗掘により荒廃していたため、昭和50年4月山際に移転し復元した。前方後円墳か円墳か不明。盛土は他から運び小山をつくったため、岩石などを含まない黒い壌土質。
○大きさ
玄室の奥行7m、間口2m、
玄室の附近に天井石、羨道(墓の中の道)は、はっきりしない。
石の種類は、磯石が多く使用されている。波浪により侵蝕され、小さい穴があいているものもある。当時の出土品は、高坏、提瓶、さら、鉄剣、鉄鏃、などであった。
 幕末に岡崎三蔵が作成した実測分限絵図「海部郡宍喰絵図」によると県民グランドには西向きに南北2つ尾根が突き出している。宍喰古墳があったのはそのいずれかだ。
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樫木屋・矢筈山

海部の秘境と謳われた樫木屋(かしごや)には矢筈山の中腹にある矢筈庵巌窟を修行の場とした礫禅窟(れきぜんくつ)をはじめ修験道の修行の場と太平洋を見晴らす絶景が待っている。

【樫木屋】

海部川の上流にある樫木屋は、かって海部の秘境と呼ばれ、歌にもこう詠まれている。

 「海部樫木屋、八方地獄、鳥も空飛ぶ、地に落ちぬ」

海部の地に鳥がけっして降りないという魔界の地という意味だ。

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【矢筈庵(やはずあん)】

樫木屋谷の南にそびえる矢筈山の中腹に巨岩が数多く点在している。その一角に十一面観音菩薩を本尊とする矢筈庵がある。山頂に至るまでは山伏たちの行場で、道々に7つの行場がある。

岩屋、蟷螂の岩屋、登岩、蟻塔渡、西の覗、金掛、燈明杉

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【礫禅窟】

矢筈庵の左手には屋根のような巨岩の下に理源太師、不動明王、役行者を祀っていて、修験道の行場だとわかる。これが礫禅窟と呼ばれる第一の行場「岩場」だ。

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*理源太師

修験道の法流には、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派がある。当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発している。

*役行者

修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされる。

【金掛】

第6の行場。巨岩に鎖が掛けられて登る行を行った。錆びているので、登るのは避けた方がよい。岩の下を通過し少し行くと簡単に岩の上に出られる。山並みを一望出来る。

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【山頂】

標高800.6mの矢筈山頂には素晴らしい眺望が待っている。南面に太平洋が広がり、東寄りに牟岐河内の平地と大島から、西寄りに海老ヶ池と海部川左岸の平野までパノラマで眺めることができる。

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山頂には三角点があり、樫の木の下に地蔵尊が祀られている。

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【案内】

矢筈庵の向こう側に行くと広場に着く。見渡すと右手の降り道の反対側茂みの間に微かな空間があり、ここに登山口がある。

最初は杉林の中に急坂が続くが、ところどころ不明瞭な箇所があり、用心して進んで欲しい。やがて大木と巨岩が見えると巨岩の間をすり抜け、更に鎖がかけられた行場「金掛」に遭遇する。巨岩の横の狭く険しい道を抜けるとその上に出てくるので行ってみて欲しい。右手に伝説のある胴切山に至る尾根、向かい側には那賀との境でかつて馬道が走っていた海部山脈が見える。

さらに登っていくと平坦な尾根道に辿り着く。広葉樹の広がる快適な尾根道はところどころ不明瞭だが、迷うほどではない。杉林の小ピークをトラバースしてすすむと最後に意地悪な急坂が待っている。この最後の難関をやり過ごすと鶴嘴を屋根にかけた祠が待っている。

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祠を通り越し少し下るとまたピークがあるが、それほど苦ではない。最後はあっけなく矢筈山頂に到着する。四等三角点のあるそれほど広くない広場は南側に開けており、眼下には雄大な太平洋に出羽島や大島が浮かぶ景色が待っている。さらに近くに目をやると三角点のある端正な山の右に牟岐の最奥の集落である西又が見える。ここは牛鬼の伝説がある集落だ。かつては西又の集落の方もここに登ってきていたという。

【アクセス】

海陽町海南庁舎から車で約1時間。登山道は1時間~2時間

【スケジュール】

09:00 海南庁舎

10:00 礫禅窟

10:20 登山

11:50 矢筈山頂

12:30 下山

13:20 出発

14:20 海南庁舎

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