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2011年1月

2011年1月18日 (火)

阿波国海部郡薩摩郷のいわれ

年末は少し時間があったんで、薩摩郷について考えてみた。
記事のこともあったし、K師匠からその記事をもらったし。

「薩摩郷」の場所ではなくて、なぜ「薩摩」と呼ぶのか?
そして、どうして文献にそれほど出てこないのか?

ウィキペディアで薩摩国をしらべて見た。
沿革のことろで目がとまる。こんなことが書いてある。

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大宝2年(702年)に、日向国から唱更国が設けられた。
唱更(はやひと)は、辺境を守るという意味である。
『続日本紀』8月1日条にある、薩摩多褹を征討し戸を校して
吏を置いたという記事が、唱更国と多褹国の建置を示すと
考えられている。
唱更国は、数年以内に薩麻国に改められた。
8世紀半ば以降のいずれかの時点で薩摩国に改称した。
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ふーん昔は別の名前だったんだ。
じゃあなんで「薩摩」とつけたんだ?

って考えたら、薩摩の語源を調べたら、
同時に「薩摩郷」のいわれもわかるんじゃないかな?

「薩摩」を固有名詞的に考えたら答えは出ないけど、
普通名詞的に考えたら、面白いんじゃないかな。

で、ネットで調べてみた。
あった。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/sub16.html
出典:「山ものがたり」から

「薩摩」=さつま(狭詰)。詰まった地形。奥まった所。さつま(狭端)。

意外と簡単。
そう、「薩摩郷」は、「狭詰郷」だったんだろうなぁ。

薩摩には、まだ他の意味もあるかもしれないけど、
とりあえず、ほっとしました。

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2011年1月 5日 (水)

水主神社の経箱に書かれた墨書の記事

水主神社の大般若経奥書に書かれた「海部郡薩摩郷八幡宮」ですが、
先日、kazunoriさんから、ご指摘がありまして
12月6日の徳島新聞を確認しました。

この記事によると、
・1~11巻の奥書によれば、阿波国の「海部郡薩摩郷八幡宮」に奉納された。
・80巻までは、「藤原朝臣富田沙聖蓮(ふじわらのあそみとみだのしゃみしょうれん)」を檀那としている。
・また、14世紀末に書写され、讃岐国へ移された。

これとは別に、
・81巻以降は15世紀前半に書写され、
・その時大般若経は、「海部多羅多門坊(かいふたらたもんぼう)」にあったらしい。

ここで、2つの地名が出てきました。
「富田」と「多羅」です。

「富田」は、吉田の北隣です。
「多羅」は、多分「多良」のことです。

「富田」はわかりやすいとして、「多良」がでてくるとはね。
まぁ、「芝」の対岸ですので、ひとくくりにできる地域です。
「高園」は、なぜか「吉野」の杉尾神社の氏子となっていることを考えても
違和感はないのですが、あんまり大きなお寺があったという記録がないんです。
「多門坊」ってなんなんでしょうね?

時期的に、中山神社が焼け落ちてからのことかと思いましたが、
それは天正のことですから、16世紀ですし、1世紀ずれてます。

この記事、2部構成なので続編が楽しみです。
ちなみに、12月6日の徳島新聞の記事は
徳島県立博物館の学芸員、長谷川賢二さんによるものですが、
海部と薩麻」の記事で書いたセンセイというのは、この方のことです。

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新年のご挨拶

旧年中は、多くの方においでいただきました。
途中、長い間休養したりで、
安定した記事のアップができてませんでしたが、
それでも、見に来てくださる方がいらっしゃって感謝しております。

例に漏れず、新年のご挨拶もこんな日になってしまいました。

ところで、この休みは、最初はランニングの開始を考えていました。
でも、年末年始の用事をしていて、
体がすっかり疲れ切っているのに気がつきました。
そのせいか、回復力が一段と落ちてます。

どうやら、12月のイベントまでに相当、無理を重ねていたようです。
体がいうことを聞きません。
そこで、あせって、トレーニングするより、
積極的な休養を選ぶことにしました。

それと、今年は3ヶ日は、予定が入っていて結構あわただしく、
体の回復力を上回ってました。

ようやく、一段落ついたので、遅くなりましたが、カキコしている状況です。

前置きが長きなりましたが、
今年もよろしくお願いいたします。

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