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2010年5月30日 (日)

木頭と海部の交流

木頭と海部の交流について、ネットでこんな資料を見つけました。


海部郡と那賀郡木頭村をむすぶ道 霧越の変遷と上海川部落について


木頭が海部だった理由は、同じ経済圏だったということらしい。
まぁ、昔の交通は歩きがメインでしたから。

ここでは、霧越の道に焦点が当てられていて、藩政の末期から明治、大正にかけて、よく利用されたとあります。

馬道の利用も、同じ時期だったんでしょうね。

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コメント

交流 長老さんからよくお聞きしております

投稿: kazunori | 2010年5月30日 (日) 19時33分

大戸の方とも交流があったんですね。

投稿: wildwolf | 2010年5月31日 (月) 12時30分

昔の街道は現在の想像を超えていたと思います。
殆どは尾根歩きだったかも?

私もネット資料は以前に見たような気がします。

投稿: デキタン | 2010年6月 1日 (火) 07時21分

歩くスピードは、平野部でも山でもそんなにスピードが変わらないんでしょう。

山越えのルートが近道で早かったんで、自動車が普及するまでは峠道が標準ルートだったんでしょう。

自動車が普及したのって、意外と近い時です。

山道は、谷道か尾根道、トラバースのどれかですね。
登りは谷道がいい、という話も聞きましたが、けっこう尾根道が多いですね。

投稿: wildwolf | 2010年6月 1日 (火) 08時16分

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